人々に毎日の活力を届けるために。
安全で、快適な日々の暮らしを守り続けるために。
岳南グループ100年の歩みをご紹介します。
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「鷹勝組」誕生
岳南グループの中核であり、最も長い歴史を有する岳南建設。その歴史は1919年(大正8年)にさかのぼります。創業者・勝又春一は早稲田工手学校(現在の早稲田大学理工学部)の土木課に学び、卒業後は山梨県庁に奉職。林業課職員として5年間勤務を経て、長年の夢を実現させるべく、岳南建設の前身である「鷹勝組」を設立したのです。27歳という若さでの独立でした。
岳南建設が歩む道を決定づけたのは、1921年の上越線工事に下請けとして参加したことでした。この工事は、東京電灯(現・東京電力)が信濃川水系中津川発電所から東京方面へ送電するためのもので、当時としては画期的な大工事でした。「鷹勝組」は春一以下、すべての社員が現場に乗り込み、鉄塔の組み立てに台棒を利用した改良案を採用するなど、能率向上に大きな成果をあげることに成功。今日の組立工法の先駆けとなる革新的な技術と、意欲的な仕事ぶりが評価され、直接工事指名を受ける足掛かりとなったのです。「創意と工夫と努力」による良質な施工は、創業当時から変わらない、岳南建設のDNAといえるものかもしれません。 - 1923年岳南組に改名
- 1924年道路や水力発電所などの土木建設部門を新たに設置
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この国と、共に歩む
日本が戦後の高度経済成長へと歩みを進める中で、電力需要はますます旺盛になり、送電線工事は工事ラッシュの時代を迎えていました。
岳南建設が送電線工事のトップグループに浮上する足掛かりとなったのが、1963年に東京電力から受注した八日市場線増強工事。鉄塔基礎67基という大工事に対して、岳南建設は最強の技術陣を配して臨みました。その結果、安全の確保ときめ細やかな施工管理による良質な工事が高く評価され、「最優秀業者」として表彰されることができたのです。
その後の房総線新設工事では、業界初となる本シートパイルによる土留め工法、ディーゼルパイルハンマによるくい打ち、大型重機投入による掘削などを採用。無事故で工期どおりの竣工を成し遂げ、「技術の岳南」「ガンバリの岳南」という評価を定着させることができました。さらに、そこで満足することなく、岳南建設の挑戦は続きました。大型送電線時代にふさわしい施工体制の強化と安全の徹底を最重点課題として、各種工具や工法の開発・改良、新たな機械の活用に注力。山岳地の大型工事が急速に進展する中で、トップカンパニーとしての地歩を着実に固めていったのです。 - 1965年八日市場線増強工事や、房総線新設工事を成功させる。
- 1970年商号を「岳南建設株式会社」に変更
- 1975年緑設計測量株式会社 設立
- 1983年送電工事の新規受注が減少。
電力会社の通信事業への参画を背景に送電線を利用した通信網を整備する高度な技術や、雪害を予防するための装置の取り付け工事などで業務を多角化。 - 1985年「株式会社東富士エンタープライズ」(現・静岡岳南)を設立。
- 1988年基幹送電線の建設工事が活発になる。
100万ボルト(UHV)送電線なども受注、建設するように。 -
好景気がもたらした危機
1986年から約5年間にわたって続いたバブル好景気が岳南建設にもたらしたもの、それは、深刻な人材難でした。岳南建設が誇る「技術力」と「ガンバリ」。それらを体現するのは、紛れもなく優秀な人材です。当時、活況に沸いていた産業界では、あらゆる分野で人材が不足し、低コストでの労働力確保を求めて、海外に進出する企業が相次いでいました。しかし、日本のエネルギーインフラをつくり、支えていく私たちの事業は、他企業と同じようにはいきません。国内産業の空洞化が叫ばれる中で、いかに優秀な技術人材を採用していくのか、それは、簡単に解決できる問題ではなかったのです。
そこで、岳南建設では、長期的視野に立ち、経営体質の改善に着手することを決定しました。自己資本の充実、経営機構、職制の拡充強化……。優秀な人材が集い、育まれ、誇りと愛情を持てる場所を目指すために、さまざまな取り組みが実行されたのです。大きく成長できる環境があること。チームに家族と同じような愛情を持てること。当時の改革がなければ、現在の岳南らしさはなかったといえるでしょう。 - 1990年送電線の受注高が次第に減少。
一層の多角化を推進。 - 1995年電力市場の自由化が始まる。
管理部門のスリム化を目的とした、大幅な組織改編を行う。 - 1997年人材育成への注力を推し進め、事業領域の拡大を目指して事業の再構築を開始。
- 1998年「岳南資材」と「ジーエスシー」を設立。
- 2000年岳南レボリューションプロジェクト開始
持ち株会社の設立・執行役員制度の導入・事業部門の分社化・新規事業立ち上げ・M&Aの推進を行う - 2002年静岡岳南 分社化
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岳南ホールディングス誕生
バブル好景気が終焉し、日本全体が停滞していた2002年。岳南グループはより近代的な企業体に生まれ変わるべく、社内に「岳南レボリューションプロジェクト」を発足させました。その基本方針は「スクラップ&ビルド(解体と構築)」。具体的な方策として、「持株会社の設立」「執行役員制度の導入」「事業部門の分社化」「新規事業の立ち上げ」「M&Aの実施」が掲げられました。
同プロジェクトは着実に実行に移され、2003年には岳南ホールディングスが誕生します。当時、ホールディングスは岳南建設の子会社という位置づけでしたが、株式交換を行ったことで親子関係は逆転。グループ全体の企業価値を最大化する体制が整えられました。 - 2003年有限会社ジーケーダイニングを設立
- 2003年株式会社ジーサウスシステムズ分社化
- 2003年株式会社岳南ホールディングスを設立。
- 2003年岳南建設株式会社の会社分割と株式交換を実施。
岳南建設株式会社・岳南建設株式会社(静岡岳南)・株式会社ジーサウスシステムズ・有限会社ジーケーダイニングを岳南ホールディングスの子会社にする。
株式譲渡を実施し、株式会社東富士エンタープライズを岳南建設株式会社(静岡岳南)の子会社にする - 2003年丸電工業株式会社をM&Aで子会社化
- 2004年株式会社ジー・ネックスを設立
- 2004年岳南建設株式会社、株式会社ヒメノ、株式会社JPハイテック合弁
中央送電工事株式会社を設立 - 2004年大東企業株式会社をM&Aで子会社化
- 2005年株式会社スルガをM&Aで子会社化
- 2009年緑設計測量株式会社を解散し、その機能を中央送電工事株式会社に吸収
- 2010年有限会社ジーケーダイニングを事業譲渡
- 2011年新規事業促進のため岳南ホールディングス内に不動産仲介事業部を設置
- 2012年 千葉県松戸市に中古住宅売買仲介店舗 「ハウスドゥ!松戸中央店」を開設
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グループ創設100周年。
そして次の100年へ。そして、現在。岳南ホールディングスという大きな傘のもとで、次々と新たな可能性が生まれています。中核である送電線工事をはじめ、さまざまな分野の建設・建築、創エネルギー、IT、飲食・流通に至るまで、飛躍の未来に向けた準備が着々と進んでいるところです。
100年にわたって日本の発展を支えてきた誇りを胸に。そして、これからの100年をつくっていく強い意志を掲げて。岳南グループの挑戦は、これからも続いていきます。